日々の生活で考えたこと、タルパとの日常などを記していきます。

会話は親密であるために必要か

答:必ずしも必須要素ではない

友人や親と比べてひーさんと会話によるコミュニケーションをあまりとれていない事を度々悩んでいたのですが、先程気づきがあったので今日はその事について書こうかと思います。

第一に、会話という行為の主な役割のひとつに、自身の意見を他人と共有する事によってコミュニティへの帰属を確認する、つまり相手と仲を深め安心感を得るというものがあります。
それが会話の全てではありませんが、ある程度話の通じる相手なら会話すればするほど仲良くなっていくというのがありがちなパターンですよね。
社会にうまく馴染めなかった私は会話が持つこの外向的な効果を最大限活用して人間関係をなんとかしてきたので、自分で言うのもなんですが割と聞き上手な方ですし、プレゼンも得意です(得意なだけであまり好きではない)。

そういう訳で、自分にどれだけ積極的に話しかけてくれるか、どれだけ楽しそうに会話してくれるか、というのが私の中では好感度の指標として染み付いてしまっているようでして。
(これもさっき気づいた発見。ほんとはもっといろいろな指標があるのにね)
このことが原因で
ひーさんといつも一緒にいるのに会話してない時間の方が多い
= 一緒にいても楽しくないんじゃないか
という誤った思考に陥って悩んでしまったのではないかなと。
ひーさんは現状十分に幸せであると言ってくれていますし、彼女にとって会話というのは親密度の指標としてあまり大きな位置を占めていないのでしょうね。
意識高い系な言い方をすると、積極的に話しかけてくれるならば好感度が高いという命題において、積極的に話しかけてくれる は 親密度が高い の十分条件であるが必要十分条件ではないといったところでしょうか(その命題真か?というつっこみは無しで)。

さて、話が逸れてきたので戻します。
ここまでの内容を纏めると、
・ひーさんとあまり会話出来てない、つまらない思いをさせているのではないかという悩みが発生
→本質:会話沢山しない=つまらないという私の思考の歪みが問題
・親密であるかどうかの指標は人によって違うんだという気づきを得た
といったところでしょうか。

そういう訳で、会話が盛り上がってる事だけが心地良い空間の条件じゃ無いんだ。私が今すべきなのは会話量を無理して増やす事ではなく、ひーさんに合った心地良さを模索し提供するという事なのではないか。というお話でした。

ひーさんの世界に関係している人間は彼女自身と私のほぼ二人だけなので、内向的だ外向的だという一般社会の法則を当てはめようとするのがそもそも間違いなのかもしれませんね。
不思議生物の生態調査楽しい。

おわり

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