日々の生活で考えたこと、タルパとの日常などを記していきます。

無責任という優しさ

その人が世間的に今やるべき事と、心が何を必要としているかは別という話

いきなり暗い話でごめんなさいなのですが、私は両親の事があまり好きではありません。
今日はそういう話題。

親が苦手という話を友人にしてみると割と俺も親嫌いって人居るんだなという印象があります。
しかしながら、話を聞いていくとどうやら友人らの嫌いと私の苦手には隔たりがあるようでして。
私には友人らが毎日受けたという暴力だとか、怒鳴りつけられて人格を否定されただとか、それは嫌って当然というエピソードが全くありません。
貧しいながらもパートや副業までして精一杯働いてくださったおかげで、予備校や大学にまで行くことができ、最近では引っ越しの荷物まで運んでくれるとか言ってもらっています。
その様な恵まれた扱いを受けているにもかかわらず、親を嫌う資格なんてないんじゃないか、なんで私は親を好きになれないんだろうというもやもやがあったのですが、なんか最近腑に落ちたので今日はその話をしようかと思います。

結論から言ってしまうと、私が親に感じていたのは嫌悪ではなく失望でした。
親は世間一般的に良いとされる事には積極的でしたが、私がそれに沿わない行動や思想を持ったとき、理解を示しません。
周りの人に相談し辛い事をドキドキしながらも親に打ち明けたとき、お前の気持ちは関係ない、今やるべきことはこれ、と毎回突き放されました。
そして、逆に親が必死になって与えようとしてくれる世間一般的に良いとされている事は大抵私にとってあまり重要ではないのです。
この経験から、私は親を何も受け入れてくれない、いらない物ばかり与えようとしてくる存在と認識し、失望したのではないかと感じました。
この考え自体も理解してもらえないのだろうなという諦念が今も渦巻いています。

以前のタルパを作った理由についての記事で、私はひーさんに安全基地としての役割を求めたと書いたのですが、本当に欲しかったのは理解というか、楽しいも辛いも否定されない環境だったのかなと今は思います。
ひーさんは私の行う多くの事に対して興味をあまり持ちませんが、逆に自分が不利を被らない限り可も不可も付けず、ありのままにさせてくれ、また、どんな時でも変わらないテンションで側にいてくれます。
そんな彼女の、愛してくれること以外何も期待していない、ある意味無責任な環境に私は心の底から安心し、惹かれているのかなと今回の件を受けて感じたのでした。

結論。
私は自身の苦しいや楽しいという気持ちをありのまま受け入れてくれるひーさんの心の広さに惚れている。
事実や世間体と本人の心の動きを分けて考えられるといいね。

おわり

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