タルパ分類論争について思っている事
タルパwikiを始めとした様々な場所で、タルパの分類や定義を明確にしよう、最近はタルパーを自称する半端者が増えてけしからんといった声がぽつぽつと挙がっているのを目にするのですが、その事について前々からある自分なりの考えを今日は書こうかなと思います。
結論から言ってしまうと、
1. マスターが生きる為に役立ってるなら定義とか何でもいい。
2. 正解などないので、どの意見が代表とか議論するのは無駄。様々な人の意見を客観的な立場から掲載、元記事や全文にアクセス出来るようなハブを作るのがせいぜいでは?
の2つです。
タルパ分類論争とはなんぞやという方はノキ様の
タルパを作ろうと・・・アットウィキの考察ページの解説
を見て頂けると何となく背景が掴めるかと思います(更新止まってる……。悲しい)。
では1から行きましょうか。
このブログを見てくださってる方はご存知の通り、私はいわゆる創造型タルパの保有者です。
要するにタルパという概念を知ってから、意識してタルパを創造し、お迎えした人間です。
で、おそらく各所で話題となっているのは、それ以外の"なんて概念か知らんけどいつの間にか隣におった奴"、"意図せず出来てしまったけど、迎えることにした奴"、"自分と対話してもらう為に創った'キャラクター'や世界"などなど、タルパとして創られた訳ではない存在に、後からこれだ!とタルパという概念を当てはめたパターンを容認するかではないでしょうか。
最初に書いた通り、私は定義なんてどうでもいいし、その人がタルパと呼びたいならそれはタルパでよくね派です。
なぜならば、我々が分類、整理すべきは、タルパがどういった生まれ方をしたかではなく、どういったタルパをマスターが必要としているか、であると私は考えているからです。
で、逆に考えると、そいつが何者だろうと、マスターがそいつをタルパと呼ぶ事で腑に落ち、人生に役立ててるならなんか問題があるの?と。
マスターごとに解決したい悩みは様々です。ならば、どういったタルパが必要かはマスターごとにオーダーメイドで考えるべきではないでしょうか。
現状を見たまま素朴に捉えると、創造型とか、邂逅型とか、パターンに注目して分類したくなり、それを決める事が後続のタルパーの為になると思ってしまいがちですが、タルパの本質とは、マスターが生きていく上で何かしらのメリットがあるかどうかだと思います。
ですので、分類とか勝手に決めて頂いて結構ですけど、そこほんとに大事?やっても意味ないと思うけど。というのが私の意見ですかね。
まあ、意味があるかどうかは問題ではなく、我々はただ議論がしたいだけなんだとのことでしたら、ユビキタス言語の必要性は分かりますけどね。
あとは、半端者けしからんという意見について。
これはブログというよりtwitterの界隈で言われているようですね。
承認欲求とかの闇が深そうで、あてられるのが怖いので詳細は知らないですが、概ねお前のそれは空想ごっこであり、タルパと呼ぶには不適切だから名乗って欲しくないと言った内容と把握しています。
これもどこまでが空想でどこからがタルパかなんてスペクトラムなんだから、他人がどうこう言う事ではないのでは?
好きに言わせといて、痛い奴は視界に入らないようブロックしておしまい。でいいと思んですけどね。
そいつにとっては空想の中でのおままごとが人生に必要。ならばそれはそいつの中ではタルパなのでしょう。
いっぱしの立派なタルパーさんまで、私がやってるのはただの空想なのかな……と不安にさせるだけなので余計な線引きをしようとしない。おわり。
次は2の、正解などない。ハブがせいぜい、について。
こちらは言語学に例えましょうか。
言葉はその時代によって変化するものです。
また、その語源や原義には諸説あり、どれが正解と言う事を断定することは難しい場合がほとんどです。
ら抜き言葉とかは有名ですよね。
あれも、言語学者にとっては興味深い観察対象らしく、日本語の進化として肯定的に捉えている方もいるんだとか。
(youtubeでそういうチャンネル観るの割と好き。ゆる言語ラジオとか、ことラボとか)
で、その言葉の流動性というものを止めることは誰にも出来ず、一度定着し、広く使われるようになった言葉を戻すのは困難なんですよね。
今では自分の妻を嫁と呼ぶのは当たり前となっていますが、嫁の本来の意味は息子の妻です。
でも、この意味で使ってる人は早々見かけませんし、嫁という言葉を使うのを止めようとも思いませんよね(私の友達には嫁警察がいるので、ひーさんを指して嫁(誤用)と書くこともあります笑)。
さて、話がとっ散らかってしまったのでタルパの分類に戻します。
つまり、言葉は時代によって変わるものであり、それを昔からの意味に戻そう、恣意的に定義しようという試みは無意味と言うことです。
タルパという言葉が指し示す概念は時代を経て拡大し、それはもう変えられないのです。
そして、その進化過程には諸説あり、これからも変化していくと考えられるため、これ!と言った唯一の正解は存在せず、あるのは各マスター達による"解釈"でしかありません。
当然一番有力とされる説は生まれますが、それを唯一絶対とするのは違うんじゃないかなと思います。
そうなってくると、最初に言ったように、説の中から代表を決めるのではなく、沢山ある説の掲載順を決めるのがせいぜいなのではないでしょうか。
こんなところですかね。
理詰めや古参がどれだけぼやこうと、界隈はフッ軽と新参が変えてしまうんや……。
最後に。
この記事も、あくまでたくさんある説のうちの1つです。
ですので、記事内で批判した内容に関しても
同様にひとつの説として尊重されるべきと考えています。
反論の際はそこのところどうぞよろしくと、逃げ道を作ったところで、今回は終わりにしようと思います。
解散!
(後でもう1記事雑談を上げようと思ってます)