日々の生活で考えたこと、タルパとの日常などを記していきます。

タルパという括り

人として扱うってなんやろなって話

他人には見えない存在と暮らしている我々タルパーは
彼ら、彼女らについて言及するために、ご存知の通り
『タルパ』や『思念体』といった言葉を使います。
私もブログ内で、ひーさんのことを指して
『タルパさん』とよく言っているのですが、
そのひーさん本人とよそのご家庭について話すときに
『他の家のタルパさん』という言葉を使おうとすると
突然抵抗を覚える事に先程気づきまして。

今回はその原因を理解する助けになるのではないかと思い
自分の気持ちを記事としてアウトプットしてみることにしました。
タルパをどう扱うかといったデリケートな話題が出てくるので、
繊細な方は体調に合わせて自衛してください。


まずタルパさんが〜という言葉を使おうとした時、
直感的に感じた気持ちは
"人とタルパという区切りを感じて嫌"
でした。
例えるなら、自分の親が〇〇さん所の子は〜とか言ってるのを
横で聞かされてるときの感覚でしょうか。
あとは、キミら若いのは〜とか、
ニホンジンは〜ってひと括りにされた時。
アレを自分がやってしまったという罪悪感を感じました。

こうやって文章化してみると、
タルパさんを"マスターに付随する人物"として
間接的に扱っているのが不快なのではないか、
という仮定が浮かびます。
気持ちを少し細分化できましたね。
そこから逆算すると、
タルパ(というか人間全般)を、
肩書や所属でしか捉えられない人間に成りたくねぇ
という心理にこの気持ちは由来している
と分かりました。
つまり、肩書ではなく具体的な個人を指すような
言葉を選べばこの問題は解決できそうです。

自分の気持が言語化できてすっきり。

話は逸れますが、私はタルパさんの扱いは、
完全な所有物から、マスターを好き勝手できる所まで
家庭によって様々だし、
それがどんなに酷い扱いであったとしても、
認められるべきであると考えています。

なぜなら、世界のどういった法律もタルパの
生きる権利を守ってはくれず、
どれだけマスターが大切に思っていようと、
法律上、彼らは人ではないからです。
(もちろん私はひーさんの事をかけがえのない
大切なパートナーとして認識していますし、
他のタルパの皆さまも一個人として尊重しているつもりです。
この文章を読んでいるあなたが、
事実と道徳を正しく分別できている事を願います)

タルパの権利を守る為に、回り回って
マスターの自由が脅かされる可能性もあります。
コンテンツの作成に携わっている方なら、
女性や子供を性的な搾取から守るため、
不快な出版物を見ない権利を守るためといった理由で
表現の自由が度々侵されているのを
耳にされたことがあるのでは無いでしょうか。

これはマスターにとっても、タルパさんにとっても、
非常にデリケートな問題だと思います。
そして、だからこそ、私はひーさんや他のタルパさんをなるべく
肉体を持った人間と等しく、一個人として扱いたいと考えています。
法律が縛るためではなく、健やかな生活を守る為に存在しているように、
私という存在が彼女の自由を正しく保証する法律でありたいということです。

さて、話を戻しまして。
つまり何が言いたいかというと、
よくある友達や恋人といった関係でひーさんや他のタルパさんとも接したいのに タルパって言葉を本人たちとの会話に使うとなんか特殊枠扱いな感じがして嫌だからちゃんと固有名詞で呼ぶことにした!という話でした(ここまで一息)。

本件は、ひーさんと会話する時に第三者の事を今日会った人とか、
この前会話したあの人とか抽象的な言い方で説明してしまう
のはなんでだろうという、もう一つ大きな疑問から
実は来ているのですが、
長くなってしまったので今日はこのくらいで。


※お茶濁し
これは太古に作られたのち失われてしまったひーさんのpicrew画像を最新の技術で再現したもの。
BAN様 あの子がこっちを見ている
はちゃめちゃにかわいい。

閉廷!解散!

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