IQの低下について考えていること
最近youtubeを見ていたり、ブログを読んでいたりする時に集中力が続かず、焦りを覚えています。
というのも、マルチタスクを行うとIQが下がるという実験結果(原文未読)があるらしく、集中力が続かない→マルチタスクをしてしまう→IQ低下という仕組みから、集中力の低下は自らの賢さを損なうことに繋がるっぽいんですよね。
賢く生きたいという願望にそれなりの比重を置いている私にとって、マルチタスクは忌むべき存在です。
しかしながら、一つのことに集中しすぎると野生では生き残れないため、進化の過程で人間の脳はマルチタスクに快感を覚えるよう設計されているらしい……。
天下のGoogle様が運営するYouTubeもそれをよく分かっている故に、ある動画を見ながら次の動画を探せるよう、キューに追加という機能を最近導入し始めました。
かくいう私も、まんまとこの機能に踊らされてIQを下げながらドーパミンを放出しているというわけです。
仕組みが分かったとはいえ、キュー機能、便利なんだよなぁ……。
一つの動画見てる間は、マウス触らないようにせねば。
マルチタスクの種はほかにもたくさん転がっています。
その一つは私の手が届く範囲にいつも置いてある、あのスマートフォンです。
スマートフォンは常に何かしらの刺激的な通知を知らせてくれるため、我々の脳は無意識にその通知を逃すまいとマルチタスクをしてしまっているようです。
まるでセレロンの貧弱なリソース(私の脳)をバックグラウンドで馬鹿食いするwindows search indexみたいですね。
もう一つの例として、文章中のハイパーリンクがあげられます。
上智大学,辻 元氏,"デジタル教科書の問題点
―情報量の多さは教育効果につながるか―",コンピュータ&エデュケーション VOL.36,(2014)から引用すると、
ハイパーリンクによる補足説明が,あれば確かに便利なように思われるだろう。しかし,マイアルとドブソンの実験[4]によれば,ハイパーリンク付きの文章と,ハイパーリンクなしの文章を被験者に読ませ,内容について尋ねる実験をしたところ,ハイパーリンクなしの文章の方が,被験者は文章の内容をより深く理解していたという。ハイパーリンクは,読者の注意力を散漫にしてしまうのだ。これは,少し考えれば明らかなことで,ハイパーリンクを開いて寄り道をすると,元の文章の論理構成を辿ることが中断されてしまい,理解が浅くなってしまう
と説明されています。
この記事を読む前から文中のハイパーリンクってなんかいやだよなというモヤモヤは私の中にあって、記事の最後に文中に出てきたリンク一覧を載せるという対策をこのブログでは取っていました。
しかし、結局読者の理解度はハイパーリンクが文中に出てきた時点で下がるわけで、この対策法は根本的な解決にはなっていません。
マルチタスク根絶のためにも、この記事以降のハイパーリンクは可能な限り文末に限るような工夫をしていかないといけないなと思いました。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、本題に入ろうと思います。
この記事で私が主張したいのは、子供たちが満足に賢くなれるよう教育に力を入れることすらままならない今の日本やばくないか、ということです。
教育に注力できていないこと、なぜそれがまずいのかということを順を追って説明していきますね。
この前、私は初めてボートマッチというサービスを使ってみました。
ボートマッチとは、いくつかの選択肢をアキネーターのようにポチポチしていき、最後に絶対外せない重要な選択肢上位三つを選ぶと、自分の考えと近い政党を教えてくれるというサービスです。
いくつかのボートマッチサイトがあるのですが、ざっと調べた中で生きていたのが毎日新聞社のもののみだったので(仕方なく)、それを使ってみました。
酒の席で政治、宗教、野球の話題はタブーといわれていますし、結果は伏せますが、一番マッチしている政党でも合致率61%なうえ、どこもいくつかの妥協できない選択肢が外れていて、うーんといった感じでした。
結果はさておき、ボートマッチの選択肢の中に、高等学校の無償化に賛成か反対かという項目がありました。
親の財力と子供の学力がある程度の相関関係にあることは残念ながらよく知られており、その差を少しでも縮めるための政策です。
当然、学力、知能指数の低下を大きな問題であると考えている私は賛成派なのですが、この選択肢がボートマッチにあるということは反対派の政党も存在するということです。
オリラジのあっちゃんも言ってた通り、選挙とは100兆円の使いみちをみんなで決めようという話し合いであり、やりたいこと、やった方がいいこと全部ができるかといえば無理なのが現実。
どうしても、やりたいことには優先順位をつけて100兆円の中から切り分け切り分け、配分しなければなりません。
でもこの問題、予算が潤沢にあれば反対派なんて出ないはずなんですよね。
超高齢社会日本、賛成したいけど、自分がくたばらないためにしょうがなく隠れて反対票に入れているって人もいるのではないかと思います。
しかも、たとえ高等学校の授業料が無償になったとしても、今度は一つの教室内での生徒の学力差がさらに広がる問題が残されているという。
生徒によって学力が様々な中、一つの教室に所属する生徒が増えれば増えるほど、当然一人一人に合った教育というのは困難になってきます。
そうなるとどこかしらの層に合わせた教育を先生は行わざるを得ず、あぶれる生徒が出てきます。
あぶれた生徒のうち、授業が簡単すぎてつまらないという層は比較的裕福な家庭が多く塾で補うことができるものの、むずくてついていけないという層にそんな余裕はなく、結果としてますます格差は広がります。
この問題を解決するためには、生徒のレベルに合わせたカリキュラムを組む必要、つまり、学校でも塾のような少人数教育を行っていく必要がありますが、日本にはそんな大量の先生を雇うお金も、先生の卵を大学に行かせてあげるお金も足りていません。
端的に言ってこの状況、やばくないですか。
日本が今決めているのって、先生を増やす以前の、高校無償にするかどうかの段階なんですよ。
今後さらに減るであろう未来の働き手の価値を高めることすらままならないまま、 国民総生産上げようとか、よく考えたら無理も当然な話なんだよな……。
それでいて高齢者は増えるから、ますます教育に割かれる予算は減るという。
しかしながら、この日本の暗い行き先は選挙によって変えられる可能性があります。
どこもパッとしませんが、少なくとも教育に力を入れいている政党に注目してみるというのはいかがでしょうか。
当然、この選択を裏返せば、高齢者に対する補助を切り捨てるということになりますが、どのみち選挙とは何を選び、何を切り捨てるかという選択です。
この後ろめたさは選挙に行った全員が背負うべき義務なんじゃないかな。
そんなわけで結論。自分のIQ下げたくないし、みんなのIQも上がってほしいけど、まずは日本経済まわってくれ~~。あと、選挙いこう。
おわり。